「遺言をパソコンやスマートフォンで作れるようになるらしい」「デジタル遺言はいつから使えるのか」——ここ数年、こうしたご相談が急速に増えています。実際、遺言のデジタル化を含む「民法等の一部を改正する法律」(令和8年法律第45号)は、令和8年(2026年)6月17日に成立し、同月24日に公布されました。法制審議会の民法(遺言関係)部会が令和6年から2年近くにわたって議論を重ねた成果が、ついに条文の形になったことになります。
ただし、ここには大きな注意点があります。改正法は公布されただけで、遺言に関する規定はまだ施行されていません。施行日は政令で定められることになっており、しかも改正内容によって「公布から1年以内」「公布から3年以内」と時期が分かれています。つまり、本記事執筆時点で遺言を作成する場合、使えるのは従来どおりの自筆証書遺言・公正証書遺言・秘密証書遺言だけです。パソコンで本文を作った遺言書は、今なお無効です。
この記事では、法制審議会でどのような議論が行われ、どのような制度が新設されるのかを条文レベルで整理したうえで、「では現行法のもとで今どうすべきか」という実務目線の判断材料まで解説します。制度の全体像を正確に押さえておけば、待つべきか今作るべきかの判断もつきやすくなります。
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目次
2026年6月に成立・公布された「民法等の一部を改正する法律」の全体像
まず、今回の改正法がどのような位置づけのものかを確認しておきます。法務省の公表資料によれば、令和8年6月17日に参議院本会議で可決・成立し、同月24日に公布されたのは次の2本の法律です。
- 民法等の一部を改正する法律(令和8年法律第45号)
- 民法等の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律(令和8年法律第46号)
この改正法は、成年後見制度の見直しと遺言制度の見直しという2つの大きな柱を同時に扱っています。成年後見制度については、後見および保佐の制度を廃止して補助の制度に一元化するという抜本的な内容が含まれており、社会的な注目度も高い改正です。一方、遺言制度については、デジタル技術に対応した新方式の創設と、押印要件の見直しが中心となっています。
法務省民事局が公表した改正の概要資料では、遺言制度を見直す背景として、次のような事情が挙げられています。
- デジタル機器の普及が進み、手書きをする機会自体が減っていること
- 自筆証書遺言は本文を本人が手書きする必要があり、高齢者にとって負担が大きいこと
- 自筆証書遺言書保管制度を利用するには本人が法務局に出頭して対面で手続する必要があること
- 所有者不明土地問題などの社会課題への対応として、相続登記の促進が求められていること
- 行政手続や民間の商慣行における押印の見直しが進み、押印に関する慣行・法意識が変容していること
施行日は3つの時期に分かれている
今回の改正で特に混乱しやすいのが施行日です。改正法の附則第1条は、施行期日を次のように区分しています。
| 対象となる改正 | 施行期日 |
|---|---|
| 成年後見制度の見直し(本則) | 公布の日から起算して2年6月を超えない範囲内において政令で定める日 |
| 押印の任意化、証人等の欠格事由の拡張、死亡危急時遺言の新方式(民法976条の2)、船舶遭難者等の遺言(民法979条・979条の2)、検認に関する民法1004条の改正など(附則1条2号) | 公布の日から起算して1年を超えない範囲内において政令で定める日 |
| 保管証書遺言の創設(民法967条の改正、968条の2・968条の3の新設)および法務局における遺言書の保管等に関する法律の改正(附則1条3号) | 公布の日から起算して3年を超えない範囲内において政令で定める日 |
つまり、押印の任意化など既存の方式に関する見直しは比較的早く動き出す一方、保管証書遺言はシステムの改修が必要なため、最長で公布から3年後まで施行が後ろ倒しになる可能性があります。本記事執筆時点では、いずれの施行期日についても、これを定める政令の公布を確認できていません。「デジタル遺言はいつから使えるのか」という問いに対して、現時点で断定的な日付を答えられる情報は存在しない、というのが正確な回答です。
法制審議会の議論はどう進んだか|諮問から答申・成立まで
今回の改正は、法制審議会という法務大臣の諮問機関における審議を経て形になったものです。制度の中身を理解するうえで、どのような順序で議論が積み上がったのかを押さえておくと、報道や解説記事の「情報の鮮度」を自分で判断できるようになります。
審議の経過
法務省民事局の資料および法制審議会の公表資料によると、経過は次のとおりです。
| 時期 | 内容 |
|---|---|
| 令和6年2月 | 法務大臣から法制審議会へ諮問 |
| 令和6年4月 | 民法(成年後見等関係)部会・民法(遺言関係)部会が調査審議を開始(遺言関係部会の第1回会議は令和6年4月16日) |
| 令和7年7月15日 | 「民法(遺言関係)等の改正に関する中間試案」を決定 |
| 令和7年9月23日 | 中間試案に対するパブリックコメントの意見募集期限 |
| 令和8年1月20日 | 部会第17回会議で「民法(遺言関係)等の改正に関する要綱案」を決定 |
| 令和8年2月 | 法制審議会の総会において要綱を取りまとめ、法務大臣に答申 |
| 令和8年4月3日 | 法律案を閣議決定し、国会へ提出 |
| 令和8年6月17日 | 参議院本会議で可決・成立 |
| 令和8年6月24日 | 公布(令和8年法律第45号) |
この経過表から読み取れる重要なポイントは、令和7年夏の「中間試案」段階の情報と、令和8年に確定した条文とでは内容が異なり得るということです。中間試案は複数案を併記して意見を募る性質の文書であり、そこで検討されていた案がすべて採用されたわけではありません。インターネット上には中間試案の段階で書かれた解説記事も残っていますので、日付を確認せずに読むと誤った理解につながります。
議論の出発点にあった問題意識
部会の議論は、単に「デジタルで遺言を作れるようにする」という技術的な話に終始したわけではありません。遺言は遺言者の死後にその効力が問題となる制度であり(民法985条1項は「遺言は、遺言者の死亡の時からその効力を生ずる」と定めています)、本人に確認を取ることができません。そのため、方式を緩和すればするほど、本人の真意に基づかない遺言や、なりすましによる偽造の危険が高まるという構造的なジレンマがあります。
実際、改正法で新設される方式が「法務局への保管」と「遺言書保管官の面前での全文の口述」という二重の関門を課しているのは、この危険への対処です。法務省の概要資料も、遺言書保管官による本人確認が第三者のなりすましを防止し、遺言者が遺言の全文を口述することが遺言者の真意に基づかない遺言の作成を防止する、と明記しています。デジタル化と真意確保の両立をどう図るかが、議論の中心だったと理解するのが正確です。
現行法での電子遺言の扱い|民法960条・967条による方式強制
ここからは、改正法が施行されるまでの「現在のルール」を確認します。結論から言えば、電子データで作成した遺言書は、現行法では遺言として効力を持ちません。
その根拠は民法の2つの条文にあります。まず民法960条は「遺言は、この法律に定める方式に従わなければ、することができない」と定めています。これは方式強制と呼ばれ、法律が定めた形式を守らない遺言は、内容がどれほど明確でも無効になるという厳格なルールです。次に民法967条は「遺言は、自筆証書、公正証書又は秘密証書によってしなければならない。ただし、特別の方式によることを許す場合は、この限りでない」と定め、普通方式の遺言を3種類に限定しています。
この2条を合わせると、現行法上の普通方式の遺言は自筆証書・公正証書・秘密証書の3つだけであり、それ以外の形式で作られた文書は遺言としての効力を生じない、ということになります。
自筆証書遺言は「全文・日付・氏名の自書」が必要
民法968条1項は「自筆証書によって遺言をするには、遺言者が、その全文、日付及び氏名を自書し、これに印を押さなければならない」と定めています。自書とは自分の手で書くことを指し、パソコンやワープロによる印字は自書に当たりません。したがって、本文をパソコンで作成して印刷し、署名押印だけを手書きした遺言書は、自筆証書遺言としては無効です。
同様に、スマートフォンで録画した動画メッセージ、ボイスレコーダーに吹き込んだ音声、電子メールやメモアプリに残した文章も、現行法では遺言になりません。これらは遺族が故人の意思を推し量る手がかりにはなりますが、法的な効力を持つ遺言とは区別して考える必要があります。自筆証書遺言の基本的な要件については、自筆証書遺言とは何か?作成上の注意点や効力、法務局保管制度についても解説します。もあわせてご覧ください。
財産目録だけはパソコンで作成できる
唯一の例外が財産目録です。民法968条2項は、自筆証書と一体のものとして相続財産の目録を添付する場合、その目録については自書することを要しないと定めています。この規定は、民法及び家事事件手続法の一部を改正する法律(平成30年法律第72号)によって新設され、平成31年(2019年)1月13日に施行されました。
ただし、目録の毎葉(自書によらない記載が両面にある場合は両面)に署名し、印を押さなければならないという要件が付いています。パソコンで作成した財産目録に署名押印を忘れると、その目録部分が無効になるおそれがあります。実際の作り方は自筆証書遺言の財産目録の作成方法|パソコン作成可・通帳コピー添付の注意点で詳しく解説しています。
エンディングノートと遺言書は別物
デジタル遺言の話題と混同されやすいのがエンディングノートです。エンディングノートは形式が自由で、パソコンやアプリで作成しても構いませんが、民法が定める方式を満たさない以上、財産の承継について法的な効力を持ちません。葬儀の希望や連絡先の整理といった役割は大きいものの、財産の帰属を決めたいのであれば遺言書が必要です。両者の違いはエンディングノートの書き方|遺言書との違いと活用法で整理しています。
公正証書遺言は2025年10月からデジタル化されている
「現行法では電子遺言は一切認められない」と書きましたが、正確には一つだけ例外があります。公正証書遺言は、すでにデジタル化されています。ここを知らないまま「デジタル遺言の施行を待つ」と判断してしまうのは、実務上もったいない選択です。
根拠となるのは、民事関係手続等における情報通信技術の活用等の推進を図るための関係法律の整備に関する法律(令和5年法律第53号)による公証人法の改正です。法務省民事局の資料によれば、この改正は令和7年(2025年)10月1日に施行され、書面・対面の手続を前提としていた公正証書に係る一連の手続が全面的にデジタル化されました。
何がどう変わったのか
| 手続 | 従来 | デジタル化後 |
|---|---|---|
| 嘱託(申込み) | 公証役場に出頭して行う。印鑑証明書等の書面による本人確認 | 公証役場に出頭せずに嘱託が可能。電磁的記録での本人確認も可能 |
| 陳述・内容確認 | 公証人が対面で陳述聴取、真意確認、内容の正確性の確認を行う | 嘱託人が希望し、かつ公証人が相当と認めるときは、ウェブ会議の利用が可能 |
| 原本の作成・保存 | 書面で作成・保存。嘱託人・公証人の署名・押印が必要 | 原則として電子データで作成・保存。電子データへの署名等の規律を整備 |
| 正本・謄抄本の交付 | 書面で交付 | 電子データでの受領も可能(書面での交付も引き続き選択可能) |
これに合わせて民法969条も整理され、現行の同条2項は「前項の公正証書は、公証人法(明治四十一年法律第五十三号)の定めるところにより作成するものとする」と規定しています。従来の同条にあった筆記・読み聞かせ・署名押印といった細かな手順は公証人法側に移り、遺言者等の押印要件はこの改正によって廃止されました。
証人2名の立会いは変わらない
注意すべきは、デジタル化されても証人2名以上の立会いという要件(民法969条1項1号)は維持されていることです。日本公証人連合会の案内でも、遺言当日は遺言者本人から公証人に対し、証人2名の前で遺言の内容を改めて口頭で告げ、遺言者および証人2名が原本となる電磁的記録に電子サインをする、という手順が示されています。
また、ウェブ会議による作成は「嘱託人からの申出を公証人が相当と認めた場合」に可能となるものであり、誰でも当然に自宅から手続できるという制度ではありません。利用可否は事前に公証役場へ確認する必要があります。証人については民法974条の欠格事由に注意が必要で、詳しくは公正証書遺言の証人になれない人|証人2名の費用・民法974条・行政書士への依頼方法をご覧ください。
新方式「保管証書遺言」の方式要件(民法968条の2・968条の3)
ここからが今回の改正の核心です。改正法により、民法967条の「自筆証書」の下に「保管証書」が加えられ、普通方式の遺言は自筆証書・保管証書・公正証書・秘密証書の4種類になります。報道等で「デジタル遺言」と呼ばれているものの正式な名称が、この保管証書遺言です。
民法968条の2が定める2つの要件
新設される民法968条の2第1項は、保管証書によって遺言をするには次の方式に従わなければならないと定めています。
- 遺言者が、遺言の全文(電磁的記録に記録された場合にあっては、遺言の全文及び氏名)が記載され、又は記録された証書について、署名又はこれに代わる措置として法務省令で定めるものを講ずること
- 遺言者が、遺言書保管官の前で、その証書に記載され、又は記録された遺言の全文を口述すること
1号の「署名に代わる措置」については、法務省の概要資料が電子署名を想定していると説明しています。2号の「口述」が、この方式の最大の特徴です。パソコンで作成できるようになる代わりに、遺言者は法務局において遺言の全文を自分の口で述べなければなりません。手書きの負担はなくなりますが、口述の負担が新たに生じるという設計です。
さらに同条2項は、「前項の規定によりした遺言は、法務局における遺言書の保管等に関する法律の定めるところにより当該遺言に係る証書を保管しなければ、その効力を生じない」と定めています。法務局に保管されて初めて効力が生じるという点で、自宅で完結する自筆証書遺言とは性質が大きく異なります。
口がきけない方への特則と財産目録の扱い
民法968条の3第1項は、口がきけない者が保管証書によって遺言をする場合には、遺言者は遺言書保管官の前で遺言の全文を通訳人の通訳により申述し、又は自書して、口述に代えなければならないと定めています。
また同条2項は、遺言書保管官が保管証書と一体のものとして記載・記録された相続財産の目録を遺言者に閲覧させることその他の法務省令で定める措置を講ずるときは、その目録については口述を要しないとしています。財産が多い方が延々と口座番号を読み上げる事態を避けるための規定です。
書面型と電子型の2つのかたち
改正後の遺言書保管法には新たに定義規定(新2条)が置かれ、保管証書遺言書は次のように区分されます。
| 用語 | 定義 |
|---|---|
| 自筆証書遺言書 | 民法968条の自筆証書によってした遺言に係る遺言書 |
| 保管証書遺言書 | 民法968条の2の保管証書によってする遺言に係る遺言書 |
| 書面保管証書遺言書 | 保管証書遺言書のうち、書面をもって作成されたもの |
| 電子保管証書遺言書 | 保管証書遺言書のうち、電磁的記録をもって作成されたもの |
つまり、パソコンで作ったデータをそのまま電磁的記録として保管申請することもできますし、それをプリントアウトした書面で保管申請することもできる、という二本立てです。法務省の概要資料も「データの保管申請のほか、それをプリントアウトしたものの保管申請も可能」と説明しています。
保管証書遺言の手続|法務局への申請・口述・ウェブ会議・通知
保管証書遺言は、方式と手続が一体になった制度です。改正後の遺言書保管法(新7条)が定める手続の骨格を整理します。
申請から保管までの流れ
- 遺言書の作成:パソコン等を用いて遺言の全文を作成し、署名または法務省令で定める署名に代わる措置(電子署名を想定)を講じます。
- 保管の申請:遺言書保管官に対し、保管証書遺言書と申請情報(遺言者の氏名・出生の年月日・住所・本籍、受遺者や指定された遺言執行者の氏名等)を提供します。オンラインによる申請も可能とされています。
- 全文の口述:遺言書保管官は、申請人に民法968条の2第1項2号の口述をさせるものとされています(新7条5項)。財産目録について法務省令で定める措置を講ずる場合は、その部分の口述は不要です。
- 本人確認:遺言書保管官が本人確認を行います。改正後の新8条1項は、申請人に出頭を求め、本人を特定するために必要な事項を示す資料の提示・提供や説明を求めるものとしています。同条2項により、申請人からの申出があり、遺言書保管官がこれを相当と認めるときは、ウェブ会議の方法で資料の提示や説明をさせることも可能になります。
- 保管・記録:書面保管証書遺言書は遺言書保管所の施設内で保管され(新9条)、電子保管証書遺言書は遺言書保管ファイルに記録することによって保管されます(新10条)。
ウェブ会議が使える場面と、その条件
改正後の遺言書保管法新7条7項は、遺言書保管官は「申請人からの申出があり、かつ、当該申出を相当と認めるとき」は、法務省令で定めるところにより、映像と音声の送受信により相手の状態を相互に認識しながら通話をすることができる方法によって口述をさせることができる、と定めています。同条8項では、民法973条3項による医師の申述についても同様の方法が認められます。
ここで重要なのは、ウェブ会議の利用は当然の権利ではなく、遺言書保管官が相当と認めることが条件だという点です。法務省の概要資料も「遺言書保管官においてウェブ会議の利用が相当と認めるときに利用可能」と明記しています。「自宅にいながら必ず遺言が作れる制度」と理解するのは正確ではありません。
なお、遺言の全文が外国語で記載・記録されている場合には、申請人は日本語の翻訳文を遺言書保管官へ提供し、口述の通訳をさせる措置その他の法務省令で定める措置を講じなければならないとされています(新7条6項)。
公正性を担保する仕組みと、死亡後の通知
改正後の遺言書保管法には、遺言書保管官の除斥に関する新5条が置かれます。遺言書保管官やその配偶者・四親等内の親族が申請人であるとき、あるいは遺言書保管官が推定相続人や受遺者、その配偶者・直系血族であるときは、保管証書遺言書の保管の申請等に係る職務を行うことができません。口述を聴き取る立場に立つ以上、当然の手当てといえます。
また新19条では、遺言者が申出をしておくと、遺言書保管官が遺言者の死亡の事実を確認したときに、遺言者が指定した者に対して遺言書を保管している旨を通知する仕組みが法律上明記されます。現在の自筆証書遺言書保管制度でも運用されている指定者通知(3名まで指定可能)が、保管証書遺言にも及ぶことになります。法務省の概要資料は、この通知によって相続登記をはじめとする遺言執行が円滑化されると説明しています。
検認は不要
民法1004条1項は、遺言書の保管者は相続の開始を知った後、遅滞なく家庭裁判所に提出して検認を請求しなければならないと定めています。これを怠って検認を経ずに遺言を執行した者等には5万円以下の過料の制裁があります(民法1005条)。
もっとも、遺言書保管法は「民法第千四条第一項の規定は、遺言書保管所に保管されている遺言書については、適用しない」と定めており(現行11条。改正後は新20条に移動)、法務局に保管された遺言書は検認が不要です。保管証書遺言も法務局保管が効力要件である以上、検認は不要になります。相続開始後の手続がその分だけ軽くなるのは、実務上の大きなメリットです。検認手続そのものの流れは遺言書の検認手続き|家庭裁判所への申立て方法・必要書類・費用を行政書士が解説で解説しています。
現行の自筆証書遺言書保管制度も手続がデジタル化される
あわせて、既存の自筆証書遺言書保管制度についても手続のデジタル化が進みます。法務省の概要資料によれば、オンラインによる保管申請や証明書の交付請求、ウェブ会議を利用した各種手続、遺言の存在を遺言者が指定した者に通知する仕組みが整備されます。現行法では遺言者が保管の申請をするときは遺言書保管所に自ら出頭して行わなければならないとされていますが(現行4条6項)、改正法ではこの出頭要件に関する規定が削られています。もっとも、改正後の新8条1項は本人確認のために申請人に出頭を求めるものとしており、ウェブ会議によることができるのは遺言書保管官が相当と認めるときに限られます。出頭が一切不要になるわけではない点に注意が必要です。
現行制度の手数料は、遺言書の保管の申請が1件につき3,900円、遺言書の閲覧(モニターによるもの)が1回につき1,400円、遺言書の閲覧(原本)が1回につき1,700円、遺言書情報証明書の交付が1通につき1,400円、遺言書保管事実証明書の交付が1通につき800円、申請書等・撤回書等の閲覧が1件につき1,700円で、いずれも収入印紙により納付します。改正後は、法務省令で定める方法による申請等については現金による納付も可能とされます。現行の申請書の書き方は自筆証書遺言書保管制度―遺言者の保管申請書の書き方について―をご参照ください。
押印の任意化と証人等の欠格事由の拡張
保管証書遺言に比べて地味ですが、実務への影響が大きいのが押印要件の見直しです。こちらは附則1条2号に該当し、公布から1年以内の政令で定める日に施行されます。保管証書遺言より早く動き出す部分です。
どの条文の押印がなくなるのか
| 条文 | 改正内容 |
|---|---|
| 民法968条1項(自筆証書遺言) | 「自書し、これに印を押さなければ」→「自書しなければ」 |
| 民法968条2項(財産目録) | 「署名し、印を押さなければ」→「署名しなければ」 |
| 民法968条3項(加除その他の変更) | 「署名し、かつ、その変更の場所に印を押さなければ」→「署名しなければ」 |
| 民法970条1項(秘密証書遺言) | 1号は「署名し、印を押す」→「署名する」、2号は「封じ、証書に用いた印章をもってこれに封印する」→「封をする」、4号は公証人が印を押したうえで遺言者・証人とともに署名する形へ整理 |
| 民法976条1項・979条3項・980条・981条(特別の方式) | 遺言者・証人・立会人等の押印要件を廃止 |
法務省の概要資料は、この見直しの理由として、行政手続や民間の商慣行における押印の見直しが進んでいること、公正証書遺言における遺言者等の押印要件が令和5年の公証人法改正により廃止されたこと、押印に関する慣行や法意識に変容が生じつつあることを挙げています。
ここで実務上きわめて重要な注意点があります。施行日が到来するまでは、自筆証書遺言に押印がなければ無効です。「押印は要らなくなったらしい」という報道の断片だけを見て、施行前に押印を省いた遺言書を作ってしまうと、遺言そのものが効力を失いかねません。改正の恩恵を受けられるのは施行日以後に作成された遺言に限られると考え、それまでは従来どおり押印する運用を続けるべきです。遺言書を書き直す場合の作法は遺言書の撤回・変更方法|書き換え・取消しの手続きと注意点を解説で整理しています。
証人等の欠格事由が広がる
民法974条は、未成年者、推定相続人および受遺者ならびにこれらの配偶者・直系血族、公証人の配偶者・四親等内の親族・書記・使用人を、遺言の証人または立会人となることができない者と定めています。
改正法は、この欠格事由に受遺者の被用者(受遺者が法人である場合には、その被用者及び役員)を加えます。法務省の概要資料は、単身高齢者が増加し、入所している高齢者施設等への遺贈が行われる例があるにもかかわらず、受遺者の従業員等は現行の欠格事由に含まれていない、という問題意識を挙げています。施設への遺贈を検討する際に、その施設の職員に証人を頼むことができなくなるという実務上の変化です。あわせて、現行3号の「使用人」も「被用者」に改められます。
特別方式の遺言のデジタル対応(民法976条の2・979条・979条の2)
普通方式の遺言ができない緊急事態のために、民法は特別の方式の遺言を用意しています。今回の改正では、この分野にも録音・録画を用いた新しい方式が追加されます。押印の任意化と同じく、附則1条2号に該当する部分です。
死亡の危急に迫った者の遺言(民法976条の2)
現行の民法976条1項は、疾病その他の事由によって死亡の危急に迫った者が遺言をしようとするときは、証人3人以上の立会いをもって、その一人に遺言の趣旨を口授してこれをすることができると定めています。緊急時に3人の証人を集めることは容易ではありません。
新設される民法976条の2第1項は、次の各号に規定する状況を録音および録画を同時に行う方法により記録するときは、証人1人以上の立会いで遺言をすることができるとしています。
- 証人の一人に遺言の趣旨を口授すること
- 口授を受けた証人が、遺言の趣旨および証人の氏名を書面に記載し、又は電磁的記録に記録すること
- その証人が、書面または電磁的記録に記録された情報の内容を表示したものを遺言者に読み聞かせ、又は閲覧させ、遺言者がその記載又は記録の正確なことを承認すること
さらに同条2項は、遺言者および証人が映像と音声の送受信により相手の状態を相互に認識しながら通話をすることができる方法によって、証人を立ち会わせることができると定めています。ウェブ会議による証人の立会いが認められるということです。口がきけない方、耳が聞こえない方についての特則も置かれています。
なお、この方式による遺言も、民法976条4項・5項が準用され、遺言の日から20日以内に証人の一人または利害関係人から家庭裁判所に請求してその確認を得なければ効力を生じません。家庭裁判所は、その遺言が遺言者の真意に出たものとの心証を得なければ確認することができません。この確認手続は改正後も維持されます。
船舶遭難者等の遺言(民法979条・979条の2)
現行の民法979条は、船舶が遭難した場合に船舶中にあって死亡の危急に迫った者が、証人2人以上の立会いをもって口頭で遺言をすることができると定めています。改正法は、この見出しを「船舶遭難者等の遺言」に改めたうえで、同条1項に後段を加え、天災その他避けることのできない事変が発生した場合において、当該天災または当該事変から生じた重大かつ急迫の危難を避けることが困難な場所にあって死亡の危急に迫った者についても同様とします。大規模地震などの災害時が想定されています。
加えて、新設される民法979条の2第1項は、次のいずれかの方式により口頭で遺言をすることができるとしています。
- 第1号:証人1人以上の立会いをもって、口頭で遺言をする状況を録音および録画を同時に行う方法により記録する方式
- 第2号:口頭で遺言をする状況を録音および録画を同時に行う方法により記録し、その使用する電子計算機を用いてその記録を特定の者に送信する方式
第2号は、証人の立会いを不要とする方式です。スマートフォンで自らの遺言を録音・録画し、それを特定の者に送信することで遺言が成立し得るという、現行法から見ると大きな転換になります。ただしこの方式による遺言も、証人の一人、送信を受けた者または利害関係人から遅滞なく家庭裁判所に請求してその確認を得なければ効力を生じません。
また、これらの新方式に対応して、民法891条5号の相続欠格事由に「民法976条の2第1項若しくは979条の2第1項各号に規定する方法により記録された電磁的記録を不正に作り、破棄し、若しくは隠匿した者」が加えられ、民法1004条の検認の対象にもこの電磁的記録が含められます。デジタル化に伴う偽造・隠匿の危険に対する手当てです。
なお、特別の方式の遺言は、遺言者が普通の方式によって遺言をすることができるようになった時から6か月間生存するときは効力を生じません(民法983条)。この点は改正後も変わりません。緊急時の遺言はあくまで暫定的なものであり、危機を脱したら改めて普通方式で作り直す必要があります。
施行までの過渡期にどう備えるか|実務目線での整理
ここまで改正内容を条文レベルで見てきました。最後に、施行日が政令に委ねられている現時点で、遺言を検討している方が何をすべきかを整理します。
「デジタル遺言を待つ」という選択のリスク
保管証書遺言の施行は、公布から最長3年後まで後ろ倒しになる可能性があります。公布日が令和8年6月24日ですから、令和11年(2029年)6月まで待たされる可能性を含んでいるということです。しかも、施行後もシステムの運用開始時期や実際の窓口対応がどうなるかは現時点で分かりません。
他方、遺言は民法963条により遺言をする時において遺言能力を有していることが必要です。判断能力が低下してからでは、方式がどれだけ便利になっても遺言を作ること自体ができなくなります。制度の完成を待っている間に遺言能力を失うリスクは、決して小さくありません。今の制度で一度作っておき、保管証書遺言が使えるようになってから作り直すという選択肢も十分に合理的です。遺言はいつでも方式に従って撤回することができます(民法1022条)。
今の制度でも「デジタル」の恩恵は受けられる
すでに述べたとおり、公正証書遺言は令和7年10月1日から電磁的記録での作成が可能になり、公証人が相当と認めるときはウェブ会議による手続もできるようになりました。正本・謄本を電子データで受け取ることもできます。「デジタルで完結する遺言」に近いものを今すぐ求めるのであれば、保管証書遺言の施行を待つよりも公正証書遺言を検討するほうが現実的です。
また、自筆証書遺言についても、財産目録はパソコンで作成できますし、法務局の自筆証書遺言書保管制度を使えば検認が不要になり、紛失や改ざんのリスクも避けられます。3方式の選び分けは遺言書の種類と選び方|自筆証書・公正証書・秘密証書の違いや遺言書の作り方完全ガイド|種類別の手順と注意点で比較していますので、あわせてご覧ください。あまり利用されていない秘密証書遺言の位置づけについては秘密証書遺言の作成手順と費用|3方式との違いと使い所で整理しています。
利用状況から見る「遺言を残す人」の広がり
法務省民事局が公表している「遺言書保管制度の利用状況」によれば、令和2年7月の制度開始から令和8年7月までの遺言書の保管申請は累計127,253件(うち保管件数126,976件)に達しています。直近の令和8年7月単月では2,532件の申請があり、近年は月1,800件台から2,500件台で推移しています。
また、日本公証人連合会の公表によれば、令和7年(2025年)1月から12月までの1年間に全国で作成された遺言公正証書は123,891件でした。遺言を残すという選択は、すでに特別なことではなくなりつつあります。デジタル化の議論が進んだ背景には、こうした利用の裾野の広がりがあると考えられます。
遺言があっても相続手続の書類は必要
もう一つ、実務でよく誤解される点に触れておきます。遺言書があれば相続手続がすべて自動的に完了するわけではありません。金融機関の手続では、遺言書のほかに被相続人の出生から死亡までの戸籍や相続人の戸籍等の提出を求められるのが通常です。遺言が財産の一部しか対象としていない場合には、残りの財産について相続人全員による遺産分割協議が必要になります。
また、遺言の内容と異なる分け方をすることに相続人全員が合意する場合にも、遺産分割協議書の作成が必要です。「遺言があるかどうか」と「遺産分割協議書が要るかどうか」は、必ずしも一対一で対応しません。遺言書が見つからないケースの進め方は遺言書がない場合の相続手続き|遺産分割協議の流れ・期限・相続人申告登記を解説で解説しています。
デジタル遺産の所在を整理しておく
「デジタル遺言」と混同されやすいのが「デジタル遺産」の問題です。ネット銀行やネット証券、暗号資産、各種サブスクリプションサービスは、通帳や郵便物といった手がかりが残らないため、相続人が存在に気づけないまま放置されがちです。
これは遺言の方式とは別の問題であり、保管証書遺言が施行されても自動的に解決するものではありません。どの金融機関にどのような資産があるかを一覧にしておく、あるいは遺言書の財産目録に反映しておくといった備えが有効です。なお、相続財産の評価や相続税の要否については税理士の業務範囲となりますので、税額に関わる判断が必要な場合は税理士にご確認ください。不動産の名義変更(相続登記)については、令和6年4月1日から義務化され、原則として取得を知った日から3年以内に申請しなければならず、正当な理由なく怠ると10万円以下の過料の対象となります。登記申請の手続については司法書士にご相談ください。
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まとめ
遺言のデジタル化を含む民法等の一部を改正する法律(令和8年法律第45号)は、令和8年6月17日に成立し、同月24日に公布されました。法制審議会の民法(遺言関係)部会が令和6年4月から審議を重ね、令和7年7月15日の中間試案、令和8年1月20日の要綱案決定を経て条文化されたものです。中間試案の段階の情報と確定した条文とは内容が異なり得るため、解説記事を読む際は日付の確認が欠かせません。
新設される保管証書遺言(民法968条の2)は、パソコン等で作成した全文に署名または署名に代わる措置を講じたうえで、遺言書保管官の面前で遺言の全文を口述し、法務局に保管して初めて効力を生じる方式です。オンライン申請やウェブ会議の利用も想定されていますが、ウェブ会議は遺言書保管官が相当と認めるときに限られます。法務局に保管されるため、検認は不要になります。
一方で、施行日はいずれも政令に委ねられており、本記事執筆時点で公布を確認できていません。押印の任意化などは公布から1年以内、保管証書遺言の創設は公布から3年以内とされています。施行日が到来するまでは現行法がそのまま適用されますので、パソコンで本文を作成した遺言書は無効であり、自筆証書遺言の押印も引き続き必要です。この過渡期の取り違えが最も危険なポイントです。
今すぐデジタルの利便性を求めるのであれば、令和7年10月1日に手続がデジタル化された公正証書遺言が現実的な選択肢になります。電磁的記録による原本の作成、電子データでの正本・謄本の受領、公証人が相当と認める場合のウェブ会議の利用が可能です。ただし証人2名の立会いという要件は維持されています。遺言能力は遺言をする時に必要ですから、制度の完成を待つこと自体にもリスクがあることは意識しておきたいところです。
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※ 本記事は執筆時点の法令・実務に基づき細心の注意を払って執筆しておりますが、内容の正確性・完全性・最新性を保証するものではなく、誤記・脱漏等があった場合でも当事務所は一切の責任を負いません。法令・実務の取扱いは改正・運用変更により変動します。個別具体的な事案・手続については、必ず行政書士・弁護士・税理士・司法書士・信託銀行等の専門家にご確認のうえご判断ください。


